(4月)9日は、いつものクリニックへ行った後、どうも調子が悪くって、お二方ほどにSOSを出したんですが、悪い時には悪いことは重なるもので、、、そのまま落っこちてしまいました。

もうとにかく人に会いたくないんで;一人でぼーっとして居りました。
1週間くらいして人に会ったんですが、もう すぐ一人がラクモードに入ってしまいまして、申し訳ないことした気がします。
その日(確か、4月17日)の夜に「さすがにヤバかろう」と思うようになって、友人に電話してだいぶ落ち着きました。

というか、そんなことしている自分に「それでいいんじゃないの?自分を守れてるんだから」と言ってもらったのが、だいぶよかったよーです。
^^

そう、申し込んで(お金払って)あったスーパービジョンのセミナーも連休のセミナー(こちらはお金はまだでしたが、)もムシして、ただひたすら「んぼーっ」っと、していました。

時間があったのでだいぶ本を読みましたね。^^

それと、(4月)17日には、およそ調子が悪くなった原因がいくつか思い当ったので、できることから取り組んでおりました。

それで、そろそろ もう「自分を守るモード」から抜けても大丈夫というか、あんまり黙ってようとすると、字は思い出せなくなるわ、計算はできなくなるわという具合になってきて、仕事に支障が出てきそうだし、とりあえずまたここに戯れ言でも並べようかというところです。

前のように毎日になるかはわかりませんが、またぞろよろしくです。
m(_ _)m
ISBN:4480841385 − 浅田 彰 著 筑摩書房 1984/01 ¥1,890

バイセクシュアルでMTXのひびのさんのサイト
http://barairo.net/ の「バイセクシュアル」参考文献に紹介されていた部分を、連休くらいに再読。

やぁ〜、軽くって明るくって愉しくって、元気になっちゃいますね。^^

何者でもなく、何者にもなれる可能性を持ちながら、駆け抜けて行きたいよね。^^
夕方になってから、三社祭を見に行ってきました。
浅草までは、バスで行かれるのですよ。

雷門に着いたら、ちょうど神輿がやってきたところで、その場で続けて三基見ました。
ちょっと無謀かなーと思いつつも仲見世を通り、境内までずっと歩いていって、山車も三基、神輿もあと二基見ました。^^

神輿が練り歩くのは迫力がありますね。

明日はもっともっと賑やかで、人出もあるみたいです。
今日は、友人K嬢とカラオケに行ってきました。

・・・気がついたら、K嬢とカラオケ行くのは はじめてでしたね。^^
家とK嬢んトコの中間くらいの川口で約束して、カラオケに行って二人で2時間ほど歌ってきました。

終わってから書泉に行って、うろうろ。
その後、実家に行って夕飯を食べて帰ってきました。

そう、ここのところ毎週日曜は、実家で夕飯ですね。
・・・というか、先週は父の四十九日でした。

帰りにミニサイズの和菓子の詰め合わせも もらってきました。^^

幸せのレシピ

2005年5月23日
ちょっとだけ、『ほほえみ』を用意しましょう。
楽しいときにはもちろん、自分が怒っている時や泣いている時にも「こんな僕って可愛いな」そっと微笑んでみましょう。
「怒るのや泣くのをやめなさい」といっているわけではないのです。
怒る時も泣く時もあって、自分。
そんな自分に微笑んであげましょう。

木の芽がでて、花が咲き、空が晴れて、雨が降って・・・。日々いろいろなことがあります。
乾いた空気を吸って、空を見上げ、時には うつむいて何かを思い、そんな日々に微笑んでみましょう。

そして、今日会えた人たちに微笑んでみましょう。
会えなかった懐かしい人に微笑んでみましょう。
まだ見ぬ人を想い、微笑んでみましょう。

そうして、一瞬一瞬が満たされていく時、
僕らに新しい未来があるでしょう。

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2003 03/31
東京地方はきのう 急にざっと雨が降りましたが、うちの店 なんと雨漏りしました;
確かにすごい勢いで雨が降ったし、建物も古いんですけど;ぽたぽたと雨漏りしてきて本当ビックリしました。

今日も夕方雨が降り、閉店ころにもまだ雨宿りなお客さんが結構いましたね^^。
立ち読みで時間がつぶせるせいか、本屋って雨宿り&待ち合わせスポットなんですよね。

僕が前いた店は、東京近郊のターミナル駅の駅前で、本屋とレンタルビデオ店がひとつの建物な上、駐車場つきだったので、雨の日には車で迎えに来るのを待ってる方が、結構いらっしゃいました。

きのうは、雨漏りの件もあり、あたふたしていたら閉店時間過ぎにもお客さんが入店されたので、対応に困ってしまいました〜^^。

僕について

2005年5月25日
僕は病気にちがいないという異物感から
僕の自我と呼ばれるものは発達していて

僕が人に出会うときに思うのは
僕の正体がいつばれるのかということで

僕を受け入れてくれた人はきっと
僕のことを勘違いしているのだろうという
考えが

いつも
僕の頭の片隅から離れない

こうして
僕が生きているということが
何者にも代えて「罪である」という感覚が
拭えないからだろうか

僕はまた
人を傷つけて
人は僕に関わらない方が良いのではないか
と思い

けれど
一人で居ることの耐え難さがある

そうして
僕はまた人と出会い
人を傷つけて生きていくしかできないけれど
他でもない僕自身が
それを許す日がくるのだろうか

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2002-12-07 (自選詩集 URA 15)
サイト内++詩++のコンテンツを移動してます。

書き散らかしてて、古い分はWebから消えてたモノもあったので、
http://poemnotebook.seesaa.net/にまとめています。

こちらのページはXHTML形式なのでMac版のIE4.5では、ソースをそのまま表示してしまうと思います(XML宣言を正しく理解できないからだそうです)。ごめんなさいです。m(_ _)m
ISBN:4061497871 新書 諸富祥彦 著 講談社
2005/05/19 ¥756

全体が3パートに分かれていて、最初には、模擬授業と銘打って、読者も「人生に意味は」ある派・ない派どちらのポール(極)にも立ってみる、という仕掛けになっていて、考えながら読み進めるようになってます。

それから、宗教・文学・哲学・(広い意味での)スピリチュアリティの世界とフランクルが、「人生の意味」をどう語っているのか?が書かれており、最後に著者の答えが書かれています。

パート2では、ニーチェやフランクルだけではなく、宮台 真司・上田 紀行・江原 啓之・そして、『神との対話(ニール・ドナルド ウォルシュ 著 サンマーク出版)』などについてもまとめられています。

目次を見て最後の「私の答え」というところいのちが、私しているは、井筒俊彦じゃぁないですかー、と思ったのですが^^、真理は(人に教えられるものでなく)経験として識(し)るものである、というようなまとめ方は、なかなかだなー、と思いました。

またこの手の本は何を読んだらよいのかわからない人には、大まかなガイドにもなるように思いました。

ずれ

2005年5月30日
僕がものを云うのが困難だったのは、自分の感覚が信じられないということと、自分が痛い!と感じた時に「痛い!」と言ったその声を、煩く思う人がいるのではないかと思っていたからです。

それでは、今はそれが気になっていないか?と云えばそんな事はなく、でも僕は自分が「痛い!」と思っている事を信じてあげようと思ったのと、僕が「痛い!」と言った時に「そうだね。痛いね〜」と言ってくれる人がいる事に気づいたのと、その人が、「痛い時は、痛いんだって言っていいんだよ」と教えてくれたので、痛い時には「痛い!」と言うことにしました。

でも、僕が「痛い!」と言った時に煩いと思う人がいるかもしれない事を僕は識(し)っています。

これを識っているという事は、実は大事な事のようです。

「痛い!」と思って「痛い!」という人とそれを「煩い」と思う人がいたとして、どちらかがどちらかに「そう思うな。」と言うことはできません。実際にそう思っているんだから。

けれど、現実には自分が相手の「痛い!」と言った声を煩いから止めさせたいと思ったりします。かく云う僕もそうです。
そして、止めさせるために何等かの行動を起こしたりします。これは大げさにいえば、復讐です。

誰でもこういう気持ちは、持つものなのでしょう。

でも、自分がこういう気持ちを持つかもしれないという事を考えなかったり、「不快な思いをしたのだから、止めさせるために行動するのが当然だ!」と思うのと、どうなるのでしょうか。

さっきも云いましたが、誰でも持ってしまう可能性のある気持ちです。
自分が止めて欲しいと思っている事でも、相手にとっては、必要なことかもしれません。

そういう相手の立場というのを思いやらないで行動したらどうでしょう。

そして、止めさせるための行動というのが、エスカレートしていったらどうなるでしょう。

そうやって、自分の不快な気持ちを取り除くために行動しはじめた事が、自分と相手も含めたまわりの人々をどんどん不快にしていってしまうかもしれません。

けれども、自分が不快な事を不快だと感じたり、「不快である。」と言うことを止める必要はないと、僕は思います。

そうしたら、僕たちには何ができるのでしょうか?

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2002年9月5日

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