ISBN:4106100614 新書 養老 孟司 著 新潮社 2004/04/16 ¥714

実は、きょ年の5月ころに買ってたのですが、最初の方引っかかったトコがあったので、「まあ、いいかー」とほってありました。^^ゞ
きのう今日と少し時間がとれたので改めて読んでみました。

著者の養老さんが、最後の方で『父の死』について触れておられまして、自分が幼い頃に母方の祖父が亡くなった時のことを思い出しました。

5歳の時の出来事で、僕の記憶としては祖父が亡くなった時に僕を父が昼間なのに保育所まで作業着で迎えに来て(父が迎えに来ること自体珍しかった)、車に乗ってそのまま母方の祖父母の家に行きました。
玄関の引き戸を開けていつもなら父は威勢良く「こんちわ〜」というのに黙って入っていって、僕も後を付いて入っていって廊下を歩いてくと祖父の部屋の戸が開いていて、人が背中を向けて座っていて、その前に布団が敷いてあって人が寝ているようで・・・背中を向けて座っていたのが母で嗚咽していました。
僕には日ごろ「泣いちゃいけない」と言い聞かせていた母だったので、その母が泣くのはよっぽどのことがあったんだろう・・・と思いました。

多分みんな悲しくて気持ちに余裕がなかったんだとと思いますが、祖父が亡くなったことを僕に説明してくれる人は誰もいなくて、母はずっと遺体に取りすがって泣いていて・・・。

おばちゃん(母の妹)が「Aちゃん(母のこと)はお父さん(祖父のこと)が大事だったから・・・」と言った言葉が僕の耳にまだ残っています。
その時「そうかー、僕よりお父さんより、おじいちゃんが大事なのかー」という風に思った記憶があります。

結局、母はお通夜お葬式とずっと祖父に取りすがって泣いていて、僕はお通夜お葬式に参加しているうちに「じいちゃんは死んだんだ」ということをなんとなく気づいたんだろうと思います。
それでその時に、おじいさんを大事なお母さんもずっとおじいさんの方にいて、死んでしまったように思えたのだと思います。

こうやって、その時のことを振り返ってみて思うのは、その後の僕は母に対してなんとなく距離を感じるというか、実は目の前にいるんだけどもいない気がするというか・・・。
もっと端的にいてしまえば「(僕の中で)お母さんは死んでしまった(と思っている)のに目の前にいる同じ格好した人は誰?、気味が悪い」という感じでした。

もとから、母親が仕事(昼間)と父方の祖母の入院の付き添い(夜間)をしていて留守がちだったのもあり、『知らない人』という感じが強まったのかもしれません。

数年前に自分の中にの信念として「自分はいらないんだ」という思いがあることに気がつきました。それをずばり母に「いらないんでしょう?」ときいたことがあります。
母は「そんなことはない・・・」と答えまして・・・。
その言いかたがはっきりと違うよという言いかたではなく、なんというか弱々しくて・・・。それがうちの母の限界なんだなーと思いました。

自分としては「いらないなんてことはない。大事だよ」と言って欲しかったのですけれどね。^^
多分、現実の母にそれを求めるのは酷なんだよね。
でもやっぱり言葉にして伝わることもあるよね。

最終的には、自分の中の養育的(≒母親的)部分で自分に優しく接していくしかないのだなーとは思っています。
今、その辺の部分が上手く超えるられないんですよね〜^^。
でも、自分だけじゃなくて、人からも優しい言葉をかけてもらえたら、と思うのですよ。

ま、話は戻って、そういう『死』の体験を生活から排除しないということと、その『死』や足りない部分を負としてとらえるのではなく、どう背負っていくかどう生かしていくかーという事なのだろうと思いました。
^^

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